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市民会館の名称について、どんな経緯で誰が命名・決定したのか?

30億円を超えるとも言われる建物を建てて寄附されたのだから、「それなりの取り交わし文書があるはず」「いや、そんなんないんちゃうか!?」。何もしなければ、何もわからなままで、既成事実として歴史から疑問が消えると思い、5月11日、向日市に公文書開示請求をしていました。1か月の期間延長を経て、6月23日(令和5年度市議会第二回定例会最終日の午後)に「公開決定」の連絡が来ました。

やはり、「覚書」が起案され、向日市(甲)と寄贈者(乙)の間で覚書に署名・捺印されています。

以下、開示請求決定通知、開示された「写し」をギャラリーにします。

さらに、この起案など「経緯がわかる資料全て」の公文書開示請求をし、その非公開の決定通知書をギャラリーの後に載せています。

議会、市民に説明する前にマスコミ発表となったのは

「向日市議会会議録検索システム」で検索すると、市議会での質疑がヒットします。いくつかを紹介します。

平成30年 第3回定例会(第2号 9月 5日)
No.9 安田守市長

このたび、向日市出身で、日本電産株式会社代表取締役会長、学校法人京都学園理事長の永守重信様から、向日市民会館に代わる建物をご寄附いただけることとなりました。感謝の意を表して、施設の名称を永守重信市民会館とすることがふさわしいと考え、ご快諾をいただいたものでございます。永守様は、ご自分の名前がついた市民会館なので、建てた後も責任の持てる、しっかりした、立派な建物を建てて寄附したいと記者会見でおっしゃいました。このことから、新庁舎及び市民会館整備基本計画に沿った建物を、市民の皆様のために建設していただけるものと存じております。

平成30年 第4回定例会(第4号12月10日)
No.79 安田守市長

 なお、市民会館につきましては、向日市出身の永守重信様から、向日市民会館にかわる建物をご寄附いただけることとなり、心から感謝の意を表して、その名称、これにつきましても、副市長をはじめ理事、部長等とも相談いたしましたが、寄附者である永守様のお名前を冠した「永守重信市民会館」とすることがふさわしいと考え、永守様にご承諾いただいたところでございます。施設の名称をはじめとする記者発表を予定していた内容につきましては、ご寄附をいただく上で、事前に議員各位や市民の皆様にご説明させていただくことが不可能であったため、記者発表当日のご報告となった次第でございますので、その状況につきましては、何とぞご理解いただきたく存じます。

この「覚書」は、当時の向日市側が起案し、建物の名称も向日市(甲)が提案し、甲)当時の向日市長と乙)株式会社エスエヌ興産代表取締役社長とが記名押印して取り交わされています。

市民会館の名称に冠されている人は、ネーミングライツをこの1枚の「覚書」でゲットされた?

平成30年9月および12月の市議会質疑などでは、「永守重信様(個人)がご寄附…」と表現されていますが、実際に建設・寄附したのは「覚書」の通り「株式会社エスエヌ興産社長 永守寿美子」氏で、「覚書」取り交わしは同年の8月27日。議会に提案する間もなくマスコミ発表を優先して、せわしなく仕立てた…ということでしょうか。

2023年6月23日付けで請求したものに対して、文書を特定するためにさらに時間を要するとして1か月の延長。そして8月4日付けで「公文書不存在による非公開決定通知書」が届きました。

詳しく説明が欲しかったので、建設部公共建物整備課に電話し、面接にて管理職2名の対応で説明をもらいました。

「文書」としての記録は、いくら探しても出てこない、当時関わった職員も退職などでもういないので、これ以上調べようがないとのことです。

現在職にある人で知っているのは、市長だけということになります。

疑問はまだまだ残ります。引き続き調べていきます。


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