2023年2月、向日市民会館が建て替えられてオープンしました。しかし、その建物の名称は「永守重信市民会館」。当初は「永守重信記念向日市民会館」と建て替え構想の段階では発表されていましたが、建ってみると向日市の文字がありませんでした。
向日市の独自予算では建て替えはできませんでした。向日市ホームページでは「日本電産株式会社代表取締役会長・学校法人京都学園理事長、永守重信様のオーナー会社である株式会社エスエヌ興産様から、「永守重信市民会館」を建設し、建物をご寄附いただくこととなりました」(更新日:2018年8月30日)とされています。
どういう経緯でどんな契約でこの「ご寄附」に至り、名称がこなったのか、6月23日、公文書開示請求をしていた建物寄附に関して取り交わされた「覚書」(平成30年8月27日)が公開されました。建物の名称は向日市(甲)が提案し、甲)当時の向日市長と乙)株式会社エスエヌ興産代表取締役社長とが記名押印して取り交わされていました③(覚書画像あり)。
経緯はともあれ、向日市役所本館東隣に建つべきは、はやり「向日市民会館」の名前がないと…という多くの声が聞かれますが、みなさんはどうお考えでしょうか。
①こうして議会採択された市民会館の名称
向日市議会令和4年第2回定例会。
↓こんな議案が採択されています。
議会として、向日市民会館の名称は「永守重信市民会館」で良い、ということになっています。
それらの経緯を公文書開示請求したら、1カ月延長されました。
もう、見えない所で何が動いているのか、市民は知る由もない状態。これでは、何も争点にならず、市政への関心も減っても仕方ありませんね。
急いで何をしたかったのでしょうか。
議会をスルーできたのはなぜ? 市民会館は、なぜか「永守重信市民会館」なんです。
「そうですか」では済まないけど。
でも、会館の名称は、さらに以前に「覚書」として、譲渡される側・する側で取り交わされていたことがわかりました(③へ)。
②産経新聞が報じる日本電産誘致
「日本電産新拠点は都市化制限エリア、宙に浮く課税 京都・向日市が誘致」2022/8/29
この地域の開発・整理事業は「向日市森本東部地区土地区画整理事業」と呼ばれ、平成24年12月に森本東部地区まちづくり協議会の設立(テーマ型)でスタート。地権者へのアンケート調査、京都都市計画地区計画(森本東部地区地区計画)決定、向日市森本東部土地区画整理組合設立認可、仮換地指定、農地転用許可、事業計画変更認可(第2回)と経過しています。
その地区に具体的に立地するのが「日本電産」の新拠点。
報道によれば、
「…将来的に「第2本社」を含む4棟で約5千人が働く計画だが、市側が異例の手続きによって制限区域での大規模開発を認めた」
「市は「現行制度に基づく措置で問題ない」とするが、通常は年間1千万円以上課されるはずの都市計画税も当面は生じず、「制度の趣旨を逸脱している」「課税面で不公平」といった指摘が出ている」
「地区計画は都市計画法上の制度で、調整区域では一般的に自然環境を保全しつつ、住宅や商業施設の建築を地域住民の合意で進める。しかし、今回は新拠点のビル建設が大半を占めるという異例の計画だ。都市開発に長く携わってきた自治体の元幹部は「地区計画を特定企業のビル開発に用いるのは、制度の趣旨から逸脱する」と批判する」
「都市計画コンサルタントの荒木俊之氏は「日本電産の誘致でにぎわいの創出など市民が受ける恩恵は大きいが、課税面での不公平は続く。市街化区域への早期編入が望ましい」と指摘している」
そして、「市幹部は「市長が中心となって積極的に誘致を進めてきた」と話す」、とされています。
市街化調整区域は都市計画法で、無秩序な市街化を抑制すべき地域と定義されていて、将来的な人口減少によって「調整区域での開発の「縛り」が、土地の活用を阻害し、過疎化を進めるとの考えが地方を中心に生まれ」、都市計画区域は全国的に減少しています。
向日市では、「福祉の充実には財源確保が必要」と開発・企業誘致が進められています。こうした開発などで市の税収増加になるのか、本当に福祉の充実のための財源にあてられるのか、JR向日町駅東側再開発で建つ超高層マンションなどによる人口増加、とりわけこどもの数の増加に対応していく用意はあるのか、注目していかなければなりません。
失った農地は戻っては来ませんが。
https://www.sankei.com/article/20220829-DALCRWVZ2BPQDDXMMJJNQJEHUE/
③市民会館の名称を提案したのは向日市だった
6月23日(令和5年度市議会第二回定例会最終日の午後)に公文書開示請求(5月11日、向日市に公文書開示請求をしていたもの)の「公開決定」の連絡が来ました。
やはり、「覚書」が起案され、向日市(甲)と寄贈者(乙)の間で覚書に署名・捺印されています。
この「覚書」は、当時の向日市側が起案し、建物の名称も向日市(甲)が提案し、甲)当時の向日市長と乙)株式会社エスエヌ興産代表取締役社長とが記名押印して取り交わされていました。
市民会館の名称に冠されている人は、ネーミングライツをこの1枚の「覚書」でゲットした、ということになります。
④起案を含めた経緯についての公文書を再度開示請求しましたが
この覚書は起案者がいて、市長はじめ当時の市の上層部のみなさんが捺印されています。
そもそも誰がこの「寄附」や名称を言い出したのか、起案を含めた経緯を知りたいと、2023年6月23日付けで請求したものに対して、文書を特定するためにさらに時間を要するとして1か月の延長。そして8月4日付けで「公文書不存在による非公開決定通知書」が届きました。
詳しく説明が欲しかったので、建設部公共建物整備課に電話し、8月9日、面接にて管理職2名の対応で説明をもらいました。
「文書としての記録は、いくら探しても出てこない、当時関わった職員も退職などでもういないので、これ以上調べようがない」とのことです。
現在職にある人で知っているのは、市長だけということになります。